2011年4月14日木曜日

タリーク スルタン 「ラクスシャルキの真実」


音楽を通してラクスシャルキに出会ったタリーク スルタン、「ラクスシャルキは本当のダンスであることを伝えたい。一番良いのは、私が実際に真実を見せること。」とアメリカのサロメのインタビューに答えています。
未だにオリエンタルダンスは女性のためだけの芸術だと感じている人達が沢山いる一方で、男性オリエンタルダンスパフォーマーとして活躍するタリークが自らの考えを語ります。


サ ロメ:パフォーマンスを見て感動し、オリエンタルダンスを習う人が多い中で、タリークさんは音楽との出会いが先で、後でダンスを始めたと聞きました。音楽 との出会い、ダンスにのめりこむまでの期間、そして音楽への愛情がダンスのトレーニングにどのような効果をもたらしたのか、話して頂けますか?

タリーク スルタン(以下タリーク):音楽との出会いを通してダンスにめぐり合ったのは本当の事で、それは高校時代にさかのぼります。音楽は赤ちゃ んの頃から常に私の中心的な存在でした。幼児期にはすでにステレオの操作を覚えていました。私はスカ(レゲエの先駆)、マンボ、サルサ、カリプソなどの音 楽に囲まれて育ちましたが、私は常に中東の音楽に興味を持っていたようです。私の母は私が3-4才の頃にすでにテレビや映画で中東の音楽を耳にするといつ もどこの音楽で、そこはどんなところかと聞いていたそうです。しかし、高校生になるまで本格的には中東の音楽を聴いていませんでした。ラジオのチューニング中に、たまたまアラビック音楽を毎週流す放送局をいく つか見つけました。この音楽は私を幸せな気分にし、私の周りで起きていた醜く、否定的な日常から逃避させてくれました。私はNY市のブロンクス地区で育ち ましたが、当時(80年代)はエイズが流行り、麻薬やクラックなどの常用者やギャングの抗争がドラッグ絡みで頻繁に起こっている状況でした。その後3年間 私は、私の身辺で見聞きした狂乱な出来事を忘れるために毎週必ずそのステーションの番組を聴きました。私はその番組をテープに録音し、いつでも聞けるよう にしました。すぐにアラビック音楽は私が聴く唯一の音楽になりました。時々私はダンスのコンサートやパフォーマンスにも行っていました。しかしそれはダンスに興味があったからではなく、ダンスのあるところには音楽が あったからです。とはいうものの、3年間ほぼ毎日アラビック音楽を聞いてきたので、ダンスを習いたいと思い始めましたが、男性がどのように踊るのかわかり ませんでした。私が始めて男性のダンサー(セルジオ)を見たのはモロッコでのコンサートで、私はモロッコ(タリークのダンスの先生)に本当に男性もこのよ うに踊るのかと聞きました。男性も女性と同じように踊るとは聞いていましたが、私は信じていませんでした。ステージの上ではないけれど、男性も女性と同様 に踊るとモロッコは力強く答えました。私はモロッコのクラスを受け始めましたが、当時はパフォーマンスする意志は全くありませんでした。数年音楽を聴いてきた事は大変役に立ちました。私はリズムに反応し、いつ曲調が変わるか予想がつき、どの動きがリズムの変化、メロディーの変化に 合ったものか自然と知っていました。更に私には音楽の捉え方が分かっていたのです。簡単な事に聞こえますが、私が教えるクラスで一番時間を費やしたのが、 音楽に合わせてどのように動く(踊る)かでした。それは、殆どの人がアラビック音楽は聞きなれていないために、どのように音楽を聴き、音にのればよいの か、どの動きが特定のリズムに合うのかがわからなかったのです。私は音楽を聴き続けていたので、誰に教えられることもなく、自然と本能的に理解することが できたのです。

サロメ:モロッコ(Tarikの先生)はオリエンタルダンスの世界では尊敬されている人でもあり、個性的な人でもあるのですが、彼女の愛弟子としての経験についてお話し頂けますか?

タリーク:私のキャリアが存在するのはモロッコのおかげです。彼女は私を真剣に捉えてくれ、私のポテンシャル(将来性)を見出し、他の誰もが真剣に とりあってくれなかったのに、彼女だけは勇気づけてくれました。更に彼女は私にエジプトとモロッコ(国)に初めて連れて行ってくれ、このダンスの発祥の地 を見せてくれたのです。彼女は私が知識に飢えていることを知っていたので、カンパニーのリハーサルを見学させてくれました。その後すぐに私はカンパニーのメンバーとなりま した。リハーサルの合間に彼女は私の全ての質問に答えてくれました。彼女を通し、私はこのダンスの背後にある歴史並びに、真実と偽りについても学びまし た。これが私がダンサーになろうとした原因のひとつとなりました。私は人々にこの踊りは本当のダンスで、下品で安っぽい踊りとは違うということを理解して もらいたかったのです。一番良いのは、私が実際に真実を見せることだと判断したのです。モロッコの熱心な説得により私はダンスを教る事になり、その数年後にはセミナー(ワークショップ)も始める事になりました。私は始め、ダンスクラス をとるだけの金銭的な余裕がありませんでした。そこで彼女は、彼女のクラスのウォームアップをやることで、レッスン代と換えてくれました。彼女は私が動き を説明するのがうまく、良い先生になる素質があることを見出し、先生になるために背を押してくれました。でも、本当の事を言うと、家でアニメを見ていた かったんです。TVで”X-Man“をやっていたのだから、そう思うのも仕方ないでしょう?

サロメ:あなたは中東地域の民族ダンスとシアターダンスをパフォーマンスしたり、教えたりしますか?他にどのようなダンススタイルがあるのでしょう?

タリーク:女性が優位を占めている業界において、男性であることは非常に難しいです。伝統的な中東の男性のダンスはグループダンスで、たとえば、デ ブケ(いくつかのステップは踏めます)、タクティブ、モロッコ(国)のダンス、トルコのダンス、アラビア半島など全てグループダンスです。モロッコ(国) のトレイダンスも踊りますが、ラクスセニヤ、トルコのダーヴィッシュ(エジプトのタノウラはいまでも踊った後で終日めまいがします)なども踊ります。私は 本物のサァイディスタイルのラクス・アサヤとステージヴァージョンも踊ります。しかし、ごくまれにしか踊る機会とスペースが与えられないので、パフォーマ ンスはあまりやっていません。私は常にシャマダンはすばらしいと思っていますが、これは女性の踊りです。しかし、私は支えのない物のバランスをとる事に挑戦し、支えのないシー シャ(水パイプ)を頭でバランスをとりながら踊るダンスをつくりあげました。 エジプトの人達もこのアイディアが気に入ったようです。ティトもこのシー シャダンスをやり始めました。しかし、公平な立場から言うと、私もタブラの上に乗ってのドラムソロをティトから真似ました。私はトルコのコーチェックダン スも出来ますが、パフォーマンスする前にコスチュームを作らないといけません。私の長期の目標はできるだけ正確に出来る限りの民族ダンスを再現することで す。私はまだまだ勉強中で、なるべくいろいろなものを見て学ぶようにしています。私はいろいろな種類のデブケを学びたいと思っています。そして、ヌビアの 民族ダンス、ペルシャ湾とイエメンの男性の民族ダンスも学びたいと思っています。


サロメ:未だにオリエンタルダンスは女性のためだけの芸術だと感じている人達が沢山います。男性がオリエンタルダンスをパフォーマンスするにあたっての、あなたのフィロソフィー(視点、観点)をお聞かせいただけますか?

タリーク:ラクスシャルキとして私達が知っている踊りは1930年代に造られたものです。これは、女性の美と女性らしさを表現するためにデザイ ンされました。しかしながら、大元になっているのは、エジプトの一般人のラクスバラディで、これは男女共に踊られているものです。とはいえ、男性の観光 客は露出度の高いコスチュームを着た美しい女性を見るのだけが目的でしたが、ダンサーは彼女達自身の踊りに芸術的価値があると思っていました。彼女達は真 の芸術を作ろうと努力していました。このダンスは真に芸術であり、ラクスバラディといったソーシャルダンスを基礎にしているため、男も女も踊ります。男 性が踊ってはいけないという正統な理由は無いのです。ナイトクラブ産業は文化的な正確さを考えてはいません。始めに考えるのは客入り、特に男性客がショーにお金を払って見に来るかと言うことです。ダンサーの大半が女性で占められているのは、特にお金持ちの男性観光客が魅力的な女性のエンターティメントを見たいからです。 もしも、カイロがお金持ちで独 立した女性であふれていた場合、彼女達はハンサムで男性的で鍛えられた体の若い男性によるパフォーマンスを望み、男性ダンサーが一般的となるでしょう。

どのようなモチベーションであったにしろ、現在のエジプトの現実として、この芸術が瀕死の状態なのは、一般的なエンターティメントの枠を出ていない からです。最近の上流、ならびに中流階級の人々の好みは西洋化しています。彼らは西洋を真似ているのです。西洋化を目指している彼らはアラビック音楽を聴 き、ダンサーを見るよりも、Hip-Hop, サルサ、テクノなどがかかるクラブへ行きます。ですから、このダンスが引き続き発展をとげるためには、古い型を破る必要があります。レストランやクラブで のパフォーマンスだけではなく、シアターダンスとして発展をとげるには、男女共に数多くの技術のあるパフォーマーを揃え、未だに殆どの人が抱いているスト リップショーというイメージを払拭する必要があります。そうすることで、このダンスが広域なダンスコミュニティーで正当に評価されれば、このダンス発祥の 地でも高く評価されることとなるでしょう。

【文献】SALOME: http://www.orientaldancer.net/ (翻訳:Naomi Takahashi)

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