2011年4月14日木曜日

タリーク スルタン 「中東舞踊を紹介」




タリークは中東舞踊の美、マジック、そして喜びを世の中の人々と分かち合いたいと思っています。ラクス・シャルキに対する情熱と深い愛情を持つタリーク・スルタンが彼のラクス・シャルキとの出会いについて語ります。タ リークのミドルイースタン文化(中近東文化)への興味と愛情は彼がティーンエージャーであった高校生の頃にさかのぼります。始めに彼の興味を引いたのは音 楽であり、ダンスではありませんでした。彼は音楽のリズムとメロディーの複雑さに酔いしれました。彼は歌詞は理解できませんでしたが、この音楽は他のどの 音楽よりも彼の心を深くとらえました。

彼はこの音楽の虜になり、彼の生活は週3回違ったラジオ局で放送していたミドルイースタンの音楽プログラムを中心に展開しました。彼がその放送の時 間帯に家でラジオを聞けないときは、ウォークマンで音楽を聴いていました。その後彼はラジオ番組を録音し始め、いつも好きな音楽を聴けるようにしたので す。

彼の音楽に対する愛情は音楽のみならず、その音楽を作り出している国々の文化への興味にもつながりました。そして彼は音楽を通して、ミドルイースタ ンの国々の豊富な歴史と文化が建築物や科学的な業績などが現代のウエスタン文化との融合に手助けしていることも知ったのです。この現実は映画の中で見て思 い描いていた砂漠とハーレムとラクダといったイメージから程遠くかけ離れたものでした。タリークは時々ダンスのコンサートにも足を運んでいました。彼はダンスにはさほど興味はありませんでしたが、ダンスがある場所には必ず音楽があるの で、ダンスコンサートに行っていたのです。少しずつ彼は自分の好きな音楽でどのようにダンスを踊るのだろうかと興味を持ち始めました。彼はダンスを楽しん でいましたが、アラビックミュージックで男性がどのように踊るのか知りませんでした。彼が今までに見てきたのはすべて女性のダンサーばかりだったのです。 しかし、それが一変したのは1985年のハロウィーンの日にリバーサイドチャーチのダンスフェスティバルで見た”Morocco and the Casbah Dance Experience (モロッコとカズバダンスエクスペリエンス“)のパフォーマンスでした。その時に彼は初めて男性ダンサーのセルジオを見たのです。さらに、これが彼が始め て見たフォークダンス(民族ダンス)でした。一番重要な事は、後に彼の良き指導者となるモロッコとの出会いでした。彼はモロッコのステージを見た瞬間に彼 女のオリエンタルダンスのパフォーマンスからミドルイーストの文化と人々にマッチした威厳とパワーと尊重を見出しました。



モ ロッコの励ましと保証で彼はモロッコの元でダンスを習い始めました。ダンスを習うにしたがって、彼はオリエンタルダンスがミドルイーストや北アフリカの文 化同様メディアによって、著しく不正確に伝えられていることを実感しました。彼は世の中の全ての人々にこのダンスを生み出した文化や人々の真の姿を見てほ しいと思いました。特に人々に多数のダンサー達が好色なアラブの男性、ハーレムのセクシーで男性に従う女性といった長年にわたって提供してきた偏見や固定 観念をなくして欲しいと思っています。オリエンタルダンスはバレエ、ジャズ、フラメンコ、インド舞踊などと同じように芸術性の高い優れた踊りであり、敬意 を払われるべきものだと信じています。それには彼が世間にその良さを伝えることが一番だと確信しています。

彼はパフォーマンスや雑誌などのに洞察力のある記事の執筆などでオリエンタルダンスはメディアに作り上げられた薄っぺらなイメージや固定概念にとら われたものだけではないと言うことを証明し続けています。モロッコの強い要望により、彼はクラスを教え始めました。彼は今では優れた才能と生徒を活気つけ させ、生徒の隠れた能力を引き出し更にモチベーションを与える能力のある先生として評価されています。彼はまた、モロッコと共に全米をセミナーとパフォー マンスで飛び回っています。彼の行く先々で、彼は生徒や観客を驚嘆させています。
タリークは中東舞踊の美、マジック、そして喜びを世の中の人々と分かち合いたいと思っています。


タリークの記事“A Teacher’s Path (教師の道)はモロッコのウエブサイトのバイオグラフィーから読むことができます。
【執筆】 Le Suke. レ・スーク
【翻訳】Naomi Takahashi

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