アメリカの男性オリエンタルダンサータリーク スルタン。彼は、このダンスのルーツを学ぶべく多くの国を訪ずれ、多くのラクス・シャルキーの芸術家的オリエンタルダンサーに出会っています。タリークが、ツアーから得た洞察、経験をサロメのブログインタビューにて語っています。
サロメ:あなたは自身の勉学のためにこのダンスのルーツになっている国々を回って歩いているようですが、ツアーからどのような洞察を得、経験をしましたか?
タリーク:1988年に私 は始めてエジプトとモロッコを訪れました。この経験は私のダンスに対する認識と私自身、そしてこのダンスの発祥の地の文化に対する認識を変えました。当 時、アメリカでは多くのダンサーが「ハーレムガール」のファンタジーとステレオタイプ(型にはめた概念)を助長したり、どのプロップを使って踊るかと言う 事に意識をとられ、音楽の解釈とそれに合わせたダンスという観念を忘れているダンサーが多かったのです。エジプトスタイルのオリエンタルダンスは稀でし た。殆どの人がエジプトのレジェンド(伝説に残るような)ダンサーを見たり、聞いたりしたことがなかったのです。ビデオテープを入手することも非常に困難 でした。モロッコとアイシャ アリのビデオコレクションが非常に正確で本物のエジプトダンサーと中東、北アフリカの民族ダンスの資料でした。私はカイロでの一日目の夜 にソヘイラ ザキのパフォーマンスをナイルヒルトンホテルで見ました。彼女はグリーンのドレスにグリーンのスパンコール(シークエンス)でヒップベルトに はフリンジもティアラ(宝飾)も着いていませんでした。彼女は30ピースのオーケストラを従えていました。私はそれまでそのようなオーケストラを聴いたこ とはありませんでした。最も衝撃的だったのが、ソヘイラはアメリカのダンサーがやるような、男性客に対して誘惑的な態度をとったり、ベールを男性の客に巻 きつけたりというような事は一切しなかったのです。彼女はベール自体持っていなかったのです! 彼女はダンスフロアーの中心部に位置どると、優雅に自信に満ち溢れて音楽と共に踊りだしました。私は今までにこのようなダンサーを見たことがありませんで した。まるで王侯貴族が周りにいるような崇高さでした。彼女は美しく、エレガントで威風堂々としていて威厳がありました。彼女は真の芸術家であり、彼女の ダンスは最高級の芸術でした。